般若心経

こんな事をいってるのね。自分解釈での般若心経の意味2/3

1の続きになります。

舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

是諸法とは、前の五蘊を表わしているようですが、実在していると思われるすべての事はという意味のようです。
弟子の舎利子に、実在しない我々は、生まれるということも無く、死ぬということも無い。
汚れることもないし、清らかでもない。増えることもないし、減ることもない。ということを言っているようです。

存在しない我々は、何もないんだよってこと?

イメージ的には、何もないということであれば、悩む事も苦しむ事も無いよってことをいいたいのかなーーーってふわふわした感じですね。でも、なーーーんとなく言わんとしている事は理解できますね。

是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界

なので、空のなかには、色も無ないし、受想行識も無いし、眼耳鼻舌身意も無い、色声香味触法も無し。
眼界も無いし、意識界も無し。

ないってことはわかるけど、この文言すべてを細かく調べるのはめんどくさいな。

受想行識は、1でも説明したとおり、五蘊(我々の身体と心)の事。
眼耳鼻舌身意は、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官の事。
色声香味触法は、形・音・香・味・触覚・心の対象といった感覚器官の事。

眼界は、目で見て感じる事。
意識界は、あらゆる存在や現象を心で感じる事。

ここからは、細かく人間の器官から感じられる事さえも存在しないんだよってことを言っているのかな。

無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。

無無明は、悟りに対する無知がないという意味らしい。
無無明尽は、悟りに対する無知がなくなることもないという意味らしい。

くどいですね。もう、何言っているのかわからなくなっています。

乃至は「ということからはじまって」という接続詞らしいです。

老死はもともと無かったということで、もともと無いのだから老死を尽くすことも無い。

この文章ははっきり言ってよくわかりませんね。私的な解釈としては、何もないのだから、悟り自体も無いし、年取って死んでいくことも存在しないという事だと思いました。

 

無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。

無苦集滅道は、いろんな言葉が合わさったことであって、苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もないという事らしいです。

悟りで得られる知恵は意味も無く、悟るという行為も意味が無い。すなわち、悟らなくてならないことも何もないという事らしい。

 

つまり、何も無いものは無いし、悟りという事さえも、なーーーんも無いんだよって感じかな。

 

菩提薩埵依般若波羅蜜多。故心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究境涅槃。

菩提薩埵とは、全ての生き物の幸福を願って求める人です。

般若波羅蜜多は、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ることであり、そのために菩薩が行う修行のこと。

依は、「~により」という意味。故は、ゆえにという意味。

心無罣礙は、心に何のさまたげもない。

無有恐怖は、恐れがない。

遠離一切顛倒夢想は、遠く離れた一切の誤った考え方。

究竟涅槃は、最上絶対の悟りの境地。最も優れた涅槃(平安な心の境地)。

 

完全に分からなくなってきているが、自分的解釈では、

修行することで、物事にとらわれることが無くなり恐怖も無くなる。自分がいて他者という関係性があるという間違った思い込みから解放されて、すべての生き物が平和にくらす世界ある。ってことでしょうかね。

 

三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

三世諸仏・・・過去・現在・未来にわたっての多くの仏さまの事。

多くの仏さまは、修行によって最高の悟りとを得た。という意味らしい。

 

これは、そのままですね。修行をして最高の悟りを得なさいってこと?

あれ?前の方で、悟りという事さえもないよって言ってたよね。

解釈をまちがったかな。

 

https://ma2n2n.jp/think/hannyashingyou3

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