こんな事をいってるのね。自分解釈での般若心経の意味1/3

若い頃にちょっと心が弱すぎて落ち込むことが多かった時に、何か気を紛らわすことはないかと「般若心経」を唱える事にした。

実際は、書店にいって本を見ていたら救われるような事が書いてあったので購入して、暗記しただけでした。

ちなみに、私には信仰心は無いのですが、家の御本尊様は、「日蓮正宗」だと思います。日蓮のお経本も薄いと言えば薄いのですが、私にとっては暗記できるような長さではありません。

なので、いつも自宅の仏壇では、「南無妙法蓮華経」と何回か唱えてお線香をあげて終わりになります。

 

つまり、私が落ち込む気を紛らわすために「般若心経」を暗記した理由は、短いからという理由だけです。

 

でも、ある時、なんで、こんなに宗派があったり、お経もあるのだろうと疑問を持ちました。

 

しかし、調べれば調べるほど、よくわかりません。なんだか、お経の種類は俗に八万四千以上もあるようで宗派によっても違うという事のようです。私の解釈としては、人間界にある派閥のようなものでしょうか?

 

ま、その言われなどを知ったところですぐに忘れてしまいますので、般若心経という覚えやすいお経だけに絞った意味を、再度調べてみたいと思います。

 

再度というのは、以前調べたことがあって、偉い人が、その弟子に、何やら教えている内容が般若心経だったということを記憶しています。

つまり、その2人のある時の会話の内容が般若心経だってことだと理解しています。

それが、本当なのか?再度調べてみました。

 

まず、私が最初に見たのは、

『般若心経』を現代語訳するとこうなる - 存在が存在することの意味を説くお経 –

というサイトの説明になります。これは、本当に分かりやすいです。

 

でも、今回は、お経を区切って詳細を調べてみました。
あくまでも、まっつんつんが調べた内容なので責任はもてませんのでご理解くださいね。

 

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摩訶般若波羅蜜多心経

「偉大なる般若波羅蜜多について、心髄の経」という意味のようです。

般若波羅蜜多【波羅蜜多(はらみった)】とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のことというようにWiki様は説明してありました。

凄い教えが詰まった心の教えってことですね。

 

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。

観自在菩薩さんは、えらい修行僧のようですね。調べれば調べるほどよくわからないくなります。お釈迦様の事だって書いてあるものもあれば、違うというのもある。観音様の事だとか・・・。よくわからないけど、偉い悟りをひらいた人が、舎利子という、弟子に教えているようですね。

 

内容的には、悟りを深めようと修行をしている観自在菩薩さんが弟子の舎利子に、五蘊(われわれの心と身体)は空であると理解した結果、すべての苦厄を救うようになったという事です。

五  蘊

色(しき)・・・眼耳鼻舌身意などの感覚器官

受(じゅ)・・・色からイメージを受け取る

想(そう)・・・イメージを心の中で具象化する

行(ぎょう)・・・心のさまざまな働き

識(しき)・・・記憶と知識

 

私のような凡人には、全くわからない世界なのでしょうけど、イメージ的には、すべての拘りを捨てて、自分が人間だって存在自体も、空だと思えば、気楽になるよってことでしょうかね。

 

色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是

上の五蘊皆空と同じことを強調しているようです。

 

全ては存在してなく、空っぽだって言っているんだと解釈しました。

 

受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)・・・残りの心の四つの働きの場合もまったく同じことなのであるという事のようです。

最初の「色(しき)・・・眼耳鼻舌身意などの感覚器官」の事だけを取り上げて空っぽだといっており、他の4つも同じだよって言っているのですね。

 

このように、一つ一つ解釈していくと凄く時間がかかります。

でも、ブログにしてまとめておくと、忘れた時に読み直して、「俺、般若心経を唱えてるけど何の意味があるんだっけ?」という疑問が出た時に再確認することができますね。

 

つづく

 

こんな事をいってるのね。自分解釈での般若心経の意味2/3
1の続きになります。 舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。 是諸法とは、前の五蘊を表わしているようですが、実在していると思われるすべての事はという意味のようです。 弟子の舎利子に、実在しない我々は、生まれるということも無く、死...

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