やくざ者の映画もあまり見ないし、刑務所なんていうのも興味があっても見る機会などありません。
せっかく北海道に来たので、私でも知っている網走刑務所を見学してきました。
博物館網走監獄
事前情報など知らずに、GoogleMapsにて検索して到着したところは、「博物館網走監獄」の方になります。
本当の網走刑務所は、バイクで10分程度の場所にあることを知り、そちらにも行ってみましたので、後の方に記事にしています。
どっちから先に行っても良いと思いますが、どうせ行くなら両方に行ってみたら良いかと思います。
でも、
外しちゃいけないのは、博物館網走監獄
の方かもしれません。
私も、その歴史を知るまでは全くしらない事実に驚きました。
当時の囚人生活
博物館だけあって綺麗に整備されています。
しかし、人形で当時を再現した囚人たちの状況を見ると、ちょっと気持ち悪くもなる状況に足を速めてしまったりしました。
人形がリアルすぎて確実に一人や、夜だと怖すぎますが、観光客が沢山いましたので大丈夫です。そして、整備されているので臭いなどもなく、ちょっとした刑務所の体験にはいいんじゃないでしょうか。
脱獄犯、白鳥由栄(しらとりよしえ)
厳重そうな網走刑務所ですが、網走刑務所でも有名な脱獄犯で白鳥由栄(しらとりよしえ)という人物が展示されていました。
脱獄など通常だと考えもつかない方法で彼はやってのけたようですね。
実際に、通り抜けたとされる鉄格子などを見てきましたが、人が抜けられるような幅はないですし、みそ汁を使ってなんていう発想も通常じゃ考えられるものじゃありません。
脱獄した理由もしっかりとした信念があるようで、彼の事をもっと深く知りたくもなりました。
囚人を使って中央道路開削工事
網走刑務所は最初「網走囚徒外役所」と呼ばれ中央道路開削工事のため明治23年1200人もの囚人が送り込まれました。
道無き道を進む囚人の旅は険しい地形と熊との戦いだったと言います。道央とオホーツク沿岸を結ぶ道路の開削工事が、千人を超える囚人により昼夜兼行で強行されました。逃亡を防ぐため囚人は二人ずつ鉄の鎖でつながれながら(連鎖という)の重労働でした。工事現場が山中深く移動するにつれ食料運搬がうまく行かなくなり栄養失調やケガなどで死亡者が続出困難を極める難工です。 あまりの苦痛に耐え切れず逃亡を企てて看守に抵抗しようとした者は、その場で斬り殺されたのです。たとえ首尾よく逃げられたとしても食料もなにもない山の中のこと、結局、戻って来るしかありませんでした。
死んだ囚人たちは、現場に埋葬され目印に鎖を墓標のそばに置いたと言い伝えられ、そこで誰言うともなしに囚人たちの墓を「鎖塚」と呼ぶようになりました。昭和30年頃から郷土史を研究する人々や住民を中心にこれらの遺骨を発掘する作業が熱心に進められ今では追悼碑やお墓が建てられるまでになりました。千人の従事者から看守も含め、二百人以上の犠牲者を出したというのです。北海道での囚人労働は炭鉱や硫黄採取などでも行われ、そのつど多数の犠牲者を出していました。特にここは犠牲者が多く、囚人道路と呼ばれています。「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と、国会で追及されるに及びついに明治27年廃止されたのです。(引用:博物館網走監獄)
どうも明治時代の開国したばかりの時で、世界に追いつくためとか、ロシアなどからの軍事的な脅威からも日本を守る為に、北海道の開拓は必要だったわけであり、そのためには、物や人を運ぶ道路が至急必要だったので、命の価値が低い囚人を使ったようです。
現在では尊い命に上下はありませんが、その当時は囚人の犠牲をしてでも開拓したかったのだという事ですね。
博物館で、「監獄体験シアター」を見てきまいたが、短期間に開削工事を命令された看守なども含め、囚人の重労働は半端ない地獄のような状況だったようです。
更に、食料もまともにもらえず、睡眠時間も寒さ対策もまともじゃない状況に、病人も出て当たり前であり、死人も200人を超えたとか。
今では考えられない地獄だったようです。
そのような囚人の犠牲があり、日本は成長したという歴史があったのですね。
博物館網走監獄を見学しなければ知らなかった事でした。
監獄飯を体験
実際に囚人たちが食べた監獄飯を体験できるレストランが博物館施設内にありました。
ホッケとサンマを選択できましたので、ホッケ付きの監獄飯を食べてきました。
薄味好きの、麦ごはん好きの私なので、
見た目は質素ですが、美味しい
というのが感想です。
この監獄飯は、現在の網走刑務所で食べられている監獄飯のようです。
昔の刑務所では、このような監獄飯もなかったかもしれません。
現在の網走刑務所
せっかくなので、現在の網走刑務所にも行ってみました。
上の写真は、博物館網走監獄から5分程度の天都山展望台「オホーツク流氷館」屋上から撮影したものです。
網走刑務所も見下ろせますが、オホーツクの海や、網走湖なども見られる素晴らしい展望台でした。
本当の刑務所
網走刑務所前は、博物館とは違い、本当の刑務所でした。
正門?前には看板があり刑期3年程度の囚人を収容している刑務所のようです。
5、6mのレンガの塀に囲まれた刑務所の正門から中を覗くことができましたが、ひっそりとしており静かな環境でした。
刑務所前には、囚人が作った製品の販売所がありました。
中に入りまいたが、商品点数も多いとは感じられませんでした。
現在の刑務所内(博物館展示)
もちろん、本物の刑務所内は見ることはできませんでしたが、博物館網走監獄の方には、現在の網走刑務所の展示もありました。
現在では、部屋にテレビもあり、鉄格子が無ければ安いワンルームアパートという感じなのでしょうかね。
いずれにしても、監視されるような環境なので人として入るような事はしてはいけませんね。
網走川と山の間に位置
網走刑務所の位置は、網走川があり、裏には山間部で挟まれているようです。
今では刑期3年程度の囚人ですから脱走をするものなどはいないと思いますが、ちょっと世間とは離れさせるような建物の作りにしているように感じます。
網走に来たら是非
私の様な関東人にとっては、網走イコール、網走刑務所しかイメージに浮かびませんが、他にもいろいろと観光地があるようです。
時間の関係で、天都山展望台のオホーツク流氷館の展望台からしか、網走湖も能取湖、海もみていませんが、時間があれば、近くまで行って見てみたいですね。
この辺では、冬になると流氷なども流れてきて別の美しい光景が見られるのかもしれません。
まだまだ、網走には沢山の観光スポットがありそうですが、時間を見つけて再度来てみたい場所です。
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