第49回衆議院議員選挙の投票立会人をしてきました。
もちろん、ついでに貴重な一票を投票してきましたが、投票立会人をしてきた感想と、投票に関する感想を述べたいと思います。
投票立会人を依頼された!
突然役所の担当者から地元選挙区の投票立会人依頼を電話で受けました。
なんやら、町の自治会長から順番に選出しているようです。
そういえば、今年、自分は自治会長なる順番制の役をやっていたのでした。
なので、決して有名人とか著名人とかではなくても、たまたまタイミングで選出されたのです。
しかし、本音を言えば、
メンドクサイの一言になります。
自分が選挙に行った時も、暇そうに投票を眺めている役人(役人さんだと思っていた!)さんを見ているので、あの役ねーーーって感じです。
でも、順番制じゃ断る事もできませんので、渋々依頼を受けました。
当日、早朝6時30分に投票場に着くと既に会場の準備は出来上がっていました。
立会人のやる仕事は見学だけなので、いきなり軟禁状態のスタートです。
そもそも今回の衆議院選挙に興味が無い
テレビなどでは選挙が近くなるとニュースで衆議院選挙の話題が増えてきていましたが、私の地元では、誰が出馬しているのか?
新聞程度しか確認することができません。更に、出馬している候補者からも相手にされてないのか?選挙カーもほとんどやってきません。
ホームページなどもあるのでしょうが、見る気も起きないのはなぜでしょうか?
確かに、自動車で町を走れば、ところどころに選挙ポスターは貼ってありました。
私の選挙区では、2名の立候補している人がいまいたが、
議員なんて誰がなっても変わらない!?
本音を言っちゃえば議員なんて誰がなっても変わりはしない
と思っています。
どうせ、政党から言えば、自民党と公明党が与党で変わることなく、間違って野党が変わったとしても何もできやしないからスグに自民党に戻るって感じでしょう!!
このブログを書くために、自分の選挙区の立候補者のホームページを見る事にしました。
一人の候補は、偉そうに演説している姿の写真がホームページに沢山貼り付けられており、輝かしい(意味不明)功績が沢山並べられていました。
実績の部分を見ると、「国会の運営に全力を尽くす!」
投票する意味があったのか!?
あくまでも、個人の意見でありますが、自分の選挙区からは、2名の立候補者がいました。
立会人をしていて、思ったことは、9割が中高年だったことです。
たしか、選挙件は、18歳以上からですよね。
中には家族全員で投票所まで足を運んでいただけた世帯もありましたが、本当に若い人の投票は少なかったように感じました。
50歳を超えた自分でさえも今回の選挙には関心ないのに、若い人が、知らない人に投票に貴重な時間を使ってまで来るはずがありません。
投票に来た5割の高齢者は、日本国民の義務として来ているだけのように思えました。
本当に、この人を当選させたい!この人に政治を変えてもらいたい!なんて思って投票している人は極少だと考えます。
更に、投票結果を見ると、立候補した2名とも当選ってなりましたが、これって1名に絞って投票する意味があるのでしょうか?
どっちが落選しようが、当選しようが興味が無いので別にいいのですが、結果を見ると、ますます投票する意味があるのか!?疑問を感じました。
また、衆議院選挙の当選する仕組みから言えば、自分には理解できない「比例代表からの当選」っというのが更に我々の採決と関係ない議員復活制度には、ますます投票する意味の疑問を増強させていきます。
もっとシンプルに、このエリアに必要な議員は何人と決めて、選挙をした方がいいんじゃないでしょうかね。理解できません。
議員さんは必要なのは分かっていますが・・・
選挙に興味が無くても、新型コロナウイルス問題や経済などを制御しているのが、政治であり、選ばれた議員さんによって判断され施行されたことで我々の生活が回っている事は理解しています。議員さんは絶対に必要な職業である事は理解しています。
自分が言いたい事は、
という事です。
あと、権力や組織の力がない有志でも、気軽に立候補できるような環境が必要なのではないでしょうか!?
いっつも同じ名前の何やっている人なのか知らないのでは、投票する気にもなりませんが、ちゃんと志を持ち行動している人には本当に応援をしたくなるものです。
もう、権力や組織力だけで議員を選出する時代は、本当に日本の将来が無くなる原因の一つと考えます。
立会人を終わって感じた事
日本国憲法第79条に規定される最高裁判所裁判官国民審査は、既に任命されている最高裁判所の裁判官が、その職責にふさわしい者かどうかを国民が審査する解職の制度であり、国民主権の観点から重要な意義を持つものです。
最高裁判所の裁判官は任命された後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、この審査の日から10年を経過した後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に更に審査を受けます。(総務省)
この投票こそ、裁判官なんてあった事も誰かもしらないのに、審査なんてできません。
立会人しながら、投票する人の雰囲気を見ていると、自分と同じことをつぶやきながら箱に用紙をいれていました。(推測も含む)
この審査も意味があるのでしょうか!?
投票や審査は、我々国民が判断して投票することだと思いますが、立候補者や裁判官を判断する材料が少なすぎると思います。
第三者機関での立候補者通信簿のようなものがあると判断しやすくなると思います。
そして、通信簿以外の本人自身の面接(プレゼンテーション)の機会などもあるといいですね。
そうすることにより、権力だけで生き残っている超高齢者議員も淘汰されるのではないでしょうか?
あと、前述べさせていただきましたが、権力や組織力がなくても立候補できて、国民から選ばれれば議員になれるという環境は絶対的に必要ですね。
なんとか日本の明るい未来の為に、選挙から変わっていって欲しいものです。
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