今日は夢の中で亡くなった人が出てきて会話しました。
これは、悪い前兆か!?良い前兆か!?それとも何かのメッセージということでちょっと調べてみました。
その前に、3名の亡くなった人の夢をみて、うち2名は、私の他界した両親、そして、1名は、仕事仲間であった男性です。
場面は、2場面あり、両親と、男性の場面はまったく関係性がありません。
2シーンを見たという感じになります。
まず、最初の夢は、私より若く50歳前半で亡くなった仕事仲間です。
まだ、亡くなって月日も経過していませんが、なぜ今頃になって出演してきたのかという分析をしてみたいと思います。
彼が私よりも若いというだけで、私にとっては、とってもショックな事でした。
更に、仕事仲間として長年一緒に働いていた人ですから、さすがにいつもいるべき人が突然いなくなると言う事はしばらく不思議な感覚に陥りました。
彼とは仕事の付き合い以外は、ほとんどありませんでしたが、長い時間を仕事を通じて共に過ごしていましたので彼のいない時間を考えたこともなく、この世に生きているということが当たり前のように思っていました。
まだ、彼が亡くなって1年も経過してないので、1日に1回は、ふっと思い出し、突然職場に来そうな感覚になり、そういえばこの世にいないんだという現実に戻ります。
仕事だけの付き合いでしたが、生前の彼の生き方は、凛としており、物事に動じず本当に信頼のある人柄でした。いつも、仕事場では黙々と集中しており、時折、甘いものを食する彼の姿がありました。
このように、毎日1回は思い出すような状態でも、私の夢の中に出演してきたことは今までなかったのに、なぜ、今日になって出演してきたのか!?
夢の内容は、職場らしきところで、いつものように彼が机に腰かけているのです。
その彼をみて、私は、一瞬不思議がっていましたが、生きていたんだと喜んでいる自分がいました。なぜか、彼の横顔から後ろ向きのシーンになり、大福を食べています。
ちなみに、彼が大福を食べているところは見たことありません。
生前となんら変わらず彼とは言葉をかわすことなく、この夢は終わりました。
目が覚めてから夢占いのサイトを見て深刻な夢ではないと言うことがわかりました。
まあ、調べるまでもなく毎日のように彼のことを思い出してしまうという無意識の行為は、単なる私自身が寂しがっているだけの行為だと思います。まだ亡くなって数か月なので鮮明に記憶が残っているので当たり前かもしれません。
亡くなってしまった人を思っても生き返りませんから、成仏してほしいのでなるたけ思い出さないようにと考えておりますが、意識すればするほど意に反して思い出してしまうものです。
私より若くして亡くなった彼の生前の生き方を考えると、私自身が無理をしようとしている時、もっと自分の健康に気を使って生きなければならない時、彼の分までも人生を充実させ生きなければと意識するようになりました。
しかし、健康に意識してはいるものの酒好きで大食の私にとっては、暴飲暴食はストレス発散の1つの方法であり心理的には、やってはいけない行為なのですが、どうしても次の日に残るぐらい暴飲暴食をしてしまうのです。
多分、彼が夢の中に出てきたと言う事を分析すると、一つは寂しいと言う意識と、もう一つは若くして亡くなった彼のようにはなってはいけないと言う自分自身への健康に対する深層心理からのメッセージだと思います。
生前の彼の生き方は、健康をあまり意識していない生き方だったように私は感じていました。いつも何かしらのストレスを抱え、自分の事よりも他者を思いやるような慈悲深い人でした。
今の時代では若いといわれる年齢でこの世を去った事に対して、生前の彼を見ると運命と言う言葉で簡単に自己納得してこの世を去ったような潔さを感じます。(勝手な私の想像です。)
まだまだ彼の事が忘れられそうもないし、暴飲暴食をやめられるような心の強さもない私には、申し訳ないけども、また、彼に夢の出演オファーをしてしまうかもしれません。
本当にご冥福を祈っています。
もう一つの夢は、ちょっとボケた両親が出てきました。
戦争体験をした両親は、物を大変大切にすると言う意識が高い人でした。
特に母は、生前も、つまらないティッシュや輪ゴム、その他いろいろと捨てずにとっておくような人でした。反面、お金に苦労をしたことのない私は、小銭など、その辺に放置してしまうようなバカ息子でした。そうすると、ちゃんとしまっておくようにと注意されたこともありました。
今日の夢の中で、なぜか、ちょっとボケた両親が小銭を集めていました。
私の手元にも小銭がたくさんあったので、ボケているという手前、子供に小銭を与えるように、その小銭を母に差し出しました。
すると、「これはお前のだから、お前がちゃんとしまっておきなさい。」と私に優しく言ってきたのです。
その時の私の脳裏には、ボケても子供は子供であり、自分のことよりも息子である私の事を気にかけてくれるような人なんだっていう思いの、母への感謝でいっぱいの自分がいました。
この夢を分析すると、整理整頓してない自分に対して、母親ならこう言うだろうなっていう心理と、母への感謝の気持ちの夢と判断しています。
父親もいたような気がしますが、15年以上も前に亡くなっている時間の経過で風化しているのかもしれません。
両親の生前では、すべて当たり前の事でしたが、亡くなってみると、すべての両親の行為が愛に変わり感謝へと変わるものです。
そういう思いから、この夢も、私自身の深層心理が作り上げた、寂しさからの物語なのかもしれません。
夢占いや診断で、夢の中に亡くなった人が出てくると成仏してないとか、何かの前兆やメッセージだと言われていますが、私は、過去の思い出や、何かのタイミングで思い出した事に対して無意識に懐かしさや寂しさの感情を持ったり、現時点の自分自身が思う自分自身へのメッセージであり、亡くなった人が伝える内容は、自分自身が、その人にとって最も忘れたくない大切な記憶だと考えます。
悪夢にうなされないためにも、生きているうちに善い行いをしないといけないですね。
私も半世紀以上生きてきて、人生の折り返しも過ぎて、死という現実も決して遠くない状態に近づけば近づくほど、生前では気づかなかった大切な人たちの愛が夢となって現れるように思われます。
無理に忘れよう忘れようと思わずに、もし夢の中に出演してくれたとすれば、どんな態度をとられても言われても、目が覚めてから、「ありがとう」と声をかけたいと思います。
生前に、それだけ心配をかけていたという事ですからね。
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