尊厳死したいが日本では難しいんじゃないの?(1/2)

私は医者を信じていません。

それは、医者という職業柄、信じてはいけない職業だからです。
信じてないとっても、病気になれば医者に行くし、怪我すれば医者に行きます。
そして、ちゃんと医者のいう事を聞いてその通りに、ほぼするはずです。

私が言っている信じていないという意味は、もし、自分が深刻な末期状態になった場合の処置に関して不満があり、医者を信じていないというよりも日本の医療行為自体が、患者本人の意思に反しても決められた処置しかしないからです。しないというか、できないのかもしれません。

医者本人だって、病院だって、医療トラブルには巻き込まれたくありません。
ならば、リスクを回避するために、本人の意思よりもリスクを回避する治療しかしないはずです。

しかし、私自ら経験した過去家族4人の亡くなるまでの医療行為を振り返ると、人生が終わる最終段階が、こんな感じでいいのだろうか?と疑問に感じるし、自分だったら、自殺さえも考えるかもしれません。
それくらい、日本の終末医療に関しては疑問だらけです。

祖母や祖父の場合は、私が学生だったと言うこともあり治療内容に対しては全くわかりませんでした。
なので病院の治療と言うものはそれが当たり前であり誰もがそういう形で最終的には亡くなっていくんだと思っていました。
どっちも最終的には昏睡状態になり、人口呼吸器をつけられしばらく生かされた状態から1週間程度で亡くなっていきました。

それが、当たり前のことだと思っていましたが、何の疑問もなく時は過ぎて、今度は、自分の父親の時には、本当に考えさせられ、まず、医者という人間自体が嫌いになり、信じられなくなった体験でもあります。

何もわからない私は、母親のやることを見ていただけなのですが、胃がんの手術をする前に、治してもらうために、お金を包むという行為をしていました。別室で医者と母親と私にて、医者の説明を聞いた最後に、母親が、「よろしくお願いします。」と言ってお金の入った包みを医者に渡しました。
その時、手術とかやってもらうには、特別、このような行為が必要なのか?と思うだけでした。
総合病院の医者でしたが、特に普通に受け取り、その場は終わりました。

結局、それから、腸閉塞になったり、癌が再発して、末期だからと食事を通すためのステンドをいれたりの手術を、2年の間4回ほど行い。どんどん弱っていった父親の最後が近づいてきたいのです。

最後まで、胃潰瘍ということで宣告はしていなかったのですが、さすがに何度もなると、本人も悟っていたのか、家族には元気な笑顔を作りながらも、涙を必死に堪えていたのを覚えています。

この2年間も、手術や入院のたびに、医者からの説明はありましたが、母親も私も医者のいう事に間違いはないというように信じ切っていました。

医者からも死の宣告を受けて、いよいよお別れの時が迫っていることは私にもわかりました。
衰弱しきって、痛み止めなのか、麻酔なのかはわかりませんが、本人はもうろうとしている時間が長くなってきました。
父親も完全に悟って覚悟したのか、ちょっとの間、意識がはっきりした時、最後の言葉を言いました。
それから亡くなるまで意識が戻ることはありませんでした。

私は、治療しても回復する見込みがないわけなので、あとは、いかに本人が苦しまずにいられるかだけを考えていました。
意識はないけど、苦しくはないのだろうか?痛くはないのだとうか?なんて考えていました。
時より、唸る声、呼吸が止まるような感覚、本当に苦しくないの?
看病中、ずっとそればかりです。

そのころには、インターネットで検索することができましたので、どんな薬をつかっているのか調べると、麻酔薬と生命を維持するような薬、血圧などを保つ薬を使っていたと記憶します。

そして、医者を完全に信じられなくなるその時が来ました

12月に入り、だんだんと年末に近づいてきていますが、父は昏睡状態のまま息をしているだけの状態が見ていられなくなり、医者に私が直接言いました。

「延命処置は望んでいません。本人が苦しまないような処置は続けてほしいのですが、延命をするような治療はしないようお願いします。」

ということで、医者も納得してくれました。

そして、時は年末です。まったく薬の量は変わっていなく、時折不安定になる心拍の時には、看護師がチューブになにやら薬を投入しています。
お正月に入り、看護師に聞くと、その薬は、心臓が止まらないようにする薬だと聞かされました。

つまり、勝手に延命処置をしていたのです。

あれ、話が違うぞ。完全に疑心が増しました。

そして、延命はしてほしくないと年末年始で休んでいる担当医には言えず、看護師に伝えました。

お正月の三元日は、終わり、1月4日になり、医者が出勤してきた、その日に父親は息を引き取りました。

もう、18年も前の話なので、薬の量を調整したのか、薬を変えたのか?などは記憶していませんが、今も記憶に残っていることは、医者の都合で生かされていたわけね。ってことです。

たまたま、父親を亡くしたタイミングが1月4日だったので、私が被害妄想的なことから、そのように記憶している場合もあるので、自分を疑いながらも、母親の時は、絶対にそのような延命処置はされないようにしようと考えたのを記憶していました。

 

そして、今から2年前、母親の時の医者の医療処置を体験した時、医者の都合でという考えたくもない被害妄想だと思いたかったことが、被害妄想ではなかったと確信に変わりました。

完全に、医者が信じられなくなった出来事でした。2ページ目に続きます。

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