尊厳死したいが日本では難しいんじゃないの?(1/2)の続きになります。
18年前の父親の件もあったので、母親の場合は、しっかりと人生の終末をおくらせてあげようと考えていましたが、結果的には母親の方が、もっとひどい状態になりました。
そして、私も完全に、日本の医療も、医者も信じられなくなり、今に至っている状態です。
さて、話に戻りますが、母は若い頃から心臓病患っており30代の頃、大手術を受け生き延びられることになりました。
私は、子供ながらに、心臓発作を起こしては、背中をさすりながら小学生時代を過ごしていましたので、手術をしていただきましたお医者様には、本当に感謝しております。ペースメーカーを入れ身障者にはなったものの、まったく普段の生活には支障がなく本人も大変喜んでいました。
父を亡くし、10数年経過した75歳のころ、母親の体に異変が起きるようになりました。
息苦しいといったり、ぜーぜーして風邪のような症状がでたりしていました。
そして、ついに倒れ救急搬送されたのです。
医者から言われた内容は、「心臓に負担がかかり、肥大化して、その周りに水がたまり圧迫している。いつ最悪な状態になってもおかしくない。」と脅されました。
確かに、見せられたレントゲンを見ると、普通の人の心臓の倍くらいの大きさになっており、水だと説明された影がありました。
それから、塩分制限と食事制限という家族協力の元の介護生活になりました。
制限のおかげか、最初に倒れた時から5年が経過しました。最後の2年間は、施設の方にお世話になったのですが、医者の宣告から5年の寿命が延びました。
そして、お正月が過ぎた1月7日のある日、突然。その時はやってきました。
施設から、突然の電話で、転んで頭を強打したという内容でした。連絡してくれたのはいいけど、救急車呼んでくれないの?って思いましたが、今回のブログは、医療と医者についてのブログなのでここでは省きます。
私が施設に行ったとき、頭に大きな青あざができ痛がっている母親がいました。すぐに救急車を呼んで、心臓の治療でもお世話になっている病院に救急搬送してもらいました。私も救急車に乗り様子を見ていました。
病院に着くと母は救急処置室に入れられ私は処置室の廊下で待つようにと言われました。
廊下で待っているとなんだか救急隊員やら看護師の出入りが激しくなります。
そのうち、救急隊員と看護師が、母をストレッチャーにてレントゲン室かどこかに行くようです。
行ったと思ったら、すぐに引き返して来ました。
戻り方が尋常ではなく母の顔を隠すように処置室に戻っていました。
しばらくして処置室の中から看護師に呼ばれ医者の説明を受けました。
「先ほど心肺停止して危ない状態だったのだが現在は処置をして安定してる」と言うことでした。
今後の処置としてどうしたいのか?と聞かれたので、もちろん。
「何度も担当医から聞かされており、いつ亡くなってもおかしくない状態の心臓であることは理解しています。なので、本人が苦しまないように処置はしていただきたいのですが、延命はしないようにお願いします。」
それから、しばらくして、病室に移動するということで付いていきました。
病室についたら、外で待っているように言われ、数分後呼ばれたので病室に入り、母の姿をみたら、もう、思わず叫びたくなる衝動を抑えるのがやっとでした。
人工呼吸器を付けられ、両手両足をベットに固定されて、苦しさでもがいているのです。
医者はその場には既にいませんので、看護師にすぐ、外すように言いました。
医者じゃないのでその方法が本人にとって苦しくない方法なのかはわかりませんでしたが、ベットに両手両足を固定されてもがいている状態は、苦しくないはずないだろ!!
何考えているんだよ!!
そのうち、麻酔でも投入して意識を失わせようとしているのか?どうかはわかりませんが、これが医療なのか!?
医者に気を遣う看護師が、私の伝言を医者に伝えに行き、不満げに病室に戻ってきた医者は、私に何も言うことなく、人工呼吸器を外していきました。
人口呼吸器を外して、苦しみから解放された母は、ベットの固定も外しほっとした様子でした。しかし、これで終わりませんでした。
最後の苦しみが、数時間後から、断続的に襲ってくるようになりました。
私が小学生の頃、母の背中をさすっていた時の心臓発作っていうやつです。
心拍を図るモニターの音が尋常ではなくなり、同時に発作が起きて苦しみがやってきます。
看病している私ができることは、小学生の頃からかわりません。さすってあげるだけです。
私は、医者に言ったはず!「延命はしなくていいが、苦しくないようにしてほしい。」と
あまりにも、残酷な時間が流れるので、当直医は、戻ったようなので、看護師に何度も、何度も、「この苦痛を和らげる薬はないのか?」と聞きました。
看護師は、「ありません。」と回答するだけ、そして、あまりにも何度も言うので、迷惑そうな空気を出し始めます。
「モルヒネでも、麻酔でもいいので苦痛を和らげてもらえませんか?」と聞いても「ありません」の回答をされるだけ。
結局、一晩、地獄のような苦しみをして翌朝、母親は人生を終えました。父親の時よりも更に最悪です。
この状況を考えると、母親に申し訳ない気持ちで心がいっぱいになります。
ストレッチャーで運ばれるときに、心肺停止。あの時のままにしておいてくれれば・・・。
これが日本の医療の状態なのだと思います。
人一人の地獄の苦しみなどよりも、医療トラブルにならない方が、病院や医者にとっては、重要なのです。
回復の見込みのない終末の人間であっても、その人間が、苦しもうが、なんであろうが、延命することだけが、医療であり、医療トラブルにならないように対処することが重要なのです。
病院の立場も、医者の立場もわかります。病院からは、不服があるときは、相談窓口があるとすすめられましたが、その相談窓口っていう存在だって裁判にしたくないばかりの病院のシステムの一部だと思います。
今回の件で、本当に疑心は深まり、確信になりましたが、特に、裁判にするつもりも、騒ぐつもりもありません。
この案件は、自分自身がしっかりしなければいけないという事です。
誰かに、任せて、病院や医者に、人生の終末を任せるなら、最後の地獄の苦しみを味わうこともした仕方ない事なのです。
ただ、私は、自分もいつかは、そのような状況になった時、地獄の苦しみを耐える自信がありません。
そういうことからも、回復の見込みのない病気になり、耐えがたい苦痛になったときは、安楽死と言う選択もあっていいんじゃないかと思うのですが、現在の日本の法律や、世界に行ったとしても非常に大変なようです。
日本でも、終末期鎮静っていう治療により、終末期の苦痛から解放するような治療も行っているようですが、結局は医者の都合によって命を操作されると言う状況に陥ることが心配です。
とりあえず、今のところ尊厳死協会あたりに加入してなるたけ早く準備をしておこうかと考えております。
少子高齢化で年寄が沢山増え医療費がかさむような時代になっています。
本当に無駄な延命処置はせずに人が人として、最後くらいは楽に眠るように死を迎えられるような時代になっていただければありがたいなと思うのです。
でも、最終的には、自分の事は、自分でなんとかしなければならないのでしょう。
終わり
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